永井 尚志

ながい なおむね

1816-1891 享年66歳。

□通称:松平岩之丞、介堂

□官位:従五位下、玄蕃頭、主水正

□三河奥殿藩・第5代藩主・松平乗尹の子として生まれる。

だが、家督は養子の乗羨に譲渡されていたことから、尚志は25歳の頃に旗本の永井尚徳の養子となっている。

□老中・阿部正弘にその才能を認められ、
  外国奉行に抜擢される。

□露・英・仏と次々に通商条約を結ぶ事務
  処理を全うした。

□第二次長州征伐の折、徳川慶喜にその
  才覚を認められ、若年寄となる。

□1862年文久2年、京都町奉行となり、政界復帰すると1864年元治元年、大目付となる。1863年文久3年、8・18政変、1864年7月19日、禁門の変では、幕府側の使者として、朝廷との交渉にあたった。

□1867年慶応3年、若年寄になる。

□鳥羽伏見の戦い、函館戦争に参軍し戦った。

□1872年明治5年、明治政府に出仕し、開拓使御用掛、左院小議官を経て、1875年明治8年、元老院兼大書記官を務める。

Wikipedia「永井尚志」から引用
老中・阿部正弘に見いだされ、幕政改革に活躍した。

参考:Wikipedia「永井尚志」