大田黒 伴雄

おおたぐろ ともお

1835-1876 享年42歳。

名称:大野鉄兵衛、鉄平、安国
身分:神官で神風連の首領を務める。

□江戸に遊学し、朱子学、陽明学を学ぶ。
  帰藩後、林桜園から国学、神道を学び、
  尊王攘夷の思想を深めた。
  林門下生の宮部鼎蔵や河上彦斎らと
  親交し、熊本尊攘の団体・神風連の首
  領となる。

□師匠の林桜園は、岩倉具視らに新政府
  で太田黒を活用するよう頼んだが、受け
  入れてもらえず、太田黒は帰藩する。

□帰藩後、太田黒は下級士族たちと国学、
  神道などの思想活動に没頭し、敬神党
  を組織した。

□ロシアとの樺太問題や廃刀令、断髪令な
  どが新政府によって、断行されるとつい
  に不満を爆発させた太田黒が神風連の
  乱を引き起こす。

  しかし、鎮台兵らの出動によって、兵乱
  はわずか一日で終息し、太田黒は銃弾
  を受けて重傷を負った。
  敗走後、法華坂にて義弟・大野昇雄の
  介錯にて自刃した。

Wikipedia「太田黒伴雄」から引用
神風連を率いて、神道実践を目指す。西洋文明を毛嫌い、
日本古来の文化を守るべく立ち上がったが、反乱は失敗に終わった。

参考:Wikipedia「太田黒伴雄」