さんじょう さねなる

1820-1909 享年90歳。

□通称:維新後、改名して嵯峨実愛。

□1858年安政5年、幕府が朝廷に対して、通商条約締結の勅許を求めた際、

廷臣八十八卿の一人に列して、反対論を唱えた。これにより、実愛は安政の大獄にて、連座して処罰を受ける。

□1859年安政6年、権大名護、翌年には議奏、1862年に文久2年には、国事御用掛に就く。

□1863年文久3年、薩摩藩が主導する公武合体運動を実愛は支持し、「航海遠略策」に賛同したため、尊王攘夷派から敵視され、失脚した。

□攘夷論を強く主張した。

□岩倉具視らと結んで、諸藩の志士と
  よく通じ、王政復古に尽力した。

□倒幕の密勅が下ると実愛は、薩摩の
  大久保利通、長州の広沢真臣に授け
  る役目を負った。

Wikipedia「正親町三条実愛」から引用

参考:Wikipedia「正親町三条実愛」