堀田 正睦

ほった まさよし

1810-1864 享年55歳。

□通称:左源治、左源次、正篤、 号:見山。

幕臣。
下総(今の千葉県)佐倉藩主。
老中首座を務める。

□洋学に傾倒し、「蘭癖(らんぺき)」(オラ
  ンダごのみ)とあだ名されるほどの幕
  吏きっての洋学通として知られた。二
  度、老中に任命された。

□藩政改革に功績を挙げる。

□1855年、開港前後の緊迫した政局の中、
  老中首座となる。

□アメリカ領事・ハリスとの条約締結に
  奔走。
  朝廷から勅許を得る為、京都へ赴き、
  朝廷へ懸命に働きかけるが
  結局、勅許を得られず失意のまま江戸
  に立ち戻る。
  勅許を得るために大金を朝廷に献上し
  つつ不成功に終ったことで、朝廷への
  土産を抱えて京へ行き、帰りは頭を抱
  えて帰ってきたと批評された。

□一橋慶喜を擁立しようとするが失敗。

□井伊直弼が大老に就任すると、老中を
  罷免され、蟄居処分となる。

Wikipedia「堀田正睦」から引用
”蘭癖(らんぺき)”との異名を取ったほどの西洋通だった。
幕政改革に功績を挙げたが、
条約締結許可のための勅許取りに失敗し、幕政から退いた。

参考:Wikipedia「堀田正睦」