川路 聖謨

かわじ としあきら

1801-1868 享年68歳。

名称:万福、弥吉、三左衛門、左衛門尉
身分:幕臣

□老中・水野忠邦の信任を得た川路は、
  天保の改革の際、佐渡・奈良・大坂の奉
  行職を歴任し、幕政の一翼を担って
  いる。

□ペリー来航の前年に勘定奉行へと昇った
  川路は、ロシアとの樺太国境問題の任
  にあたっている。

  この日露和親条約の締結において、川
  路は幕府より全権を委ねられている。
  川路は江戸南町奉行の筒井政憲ととも
  にロシアの全権使節・プチャーチン(海
  軍総督)と交渉に臨んでいる。
  ロシア側は樺太はロシアの属領であると
  主張したが、川路は粘り強く交渉を成し
  、結果は、両国の国境をエトロフ島とウフ
  ップ島の間ということになり、樺太は両国
  の雑居地と定められた。

  ロシアの強硬な姿勢をひるがえし、不利
  な条約内容に成さずに済んだのは、川
  路の功績によるものといえる。

□この大役を成した川路は、後に外国奉行
  と成っているが、ほとんど隠居生活に近
  く、読書三昧の日々を送っている。
  江戸開城という訃報を知ると、幕府倒壊
  に嘆き悲しみ、ピストル自殺を成した。

Wikipedia「川路聖謨」から引用
読書熱心で、幕府要職を離れると、
著した書物がベストセラーとなった。

参考:Wikipedia「川路聖謨」