ほそかわ なりもり

1804-1860 享年57歳。

身分:熊本藩主。

□通称:与松、立政(たつまさ)

□宇土藩主・細川立之の長男として生まれる。

母は土井利厚の娘。

正室に広島藩主・浅野斉賢の娘を迎える。

子には、長男・護前(慶前)、次男・護順(慶順、韶邦)、三男・護久、四男・(護明)、六男・長岡護美、三女・勇姫(越前藩主・松平慶永(春嶽)の正室)などがいる。

□九州屈指の雄藩であったが、幕命に
  より天草警備や本牧・相模警備という
  職務を請負い、財政は貧窮していた。

□藩の財政改善を目指し、藩政改革を
  断行。有能な人材の登用を図るも、
  派閥争いを引き起こしてしまう。
  藩内では、横井小楠、長岡監物ら一
  派と松井佐渡ら一派が対立し、この
  事態収拾に多大なてこずりを成す。

Wikipedia「細川斉護」から引用

参考:Wikipedia「細川斉護」