さいおんじ きんもち
1849-1940 享年92歳。
□鳥羽伏見の戦いで、岩倉具視にその
才覚を認められ、戊辰戦争で大任を
果たす。
鳥羽・伏見の戦いの際、外様と幕府同士の私戦として扱い、朝廷は関与せずを決め込もうという意見に対して、公望は猛反対している。
このことを岩倉具視は「小僧能く見た」と称賛している。
□1868年慶応3年、岩倉の推挙により、3職の一つ、参与の一人に命じられた。
□戊辰戦争では、山陰道鎮撫総督、東山道第二軍総督、北國鎮撫使、会津征討越後口大参謀の大役を務め、各地を転戦した。
会津戦争では、銃撃戦の中、自らも鉄砲を撃ち、最前線で指揮を執った。
□自由主義的思想を標榜し、総理大臣を務
め政界の重鎮となった。