稲垣 平助
いながき へいすけ
1854-1931
享年78歳。

身分:長岡藩家老。

□長岡藩筆頭家老を務めた。
  他藩と同様、長岡藩にも佐幕か、恭順かで藩内
  では二分され、その葛藤が起こった。
  河井継之助に代表されるような徹底抗戦に
  すんなり決まる者もいたが、平助の場合、
  立場は非常に微妙であった。

□恭順派の様相は複雑であり、大別して門閥の
  家臣団と藩校・崇徳館の教授たちが挙げられる。
  その中でも門閥の代表格であるのが長岡藩
  筆頭家老・稲垣平助であった。
  彼は三河以来の家老格として藩主を補佐して
  きた家柄に有り、その門閥自身が禍して、
  明治維新という大変動の波を見極めること
  ができなかった。

□急速に藩内で重きを成し、矢継ぎ早に藩政改革を
  推し進めた河井継之助とは、対照的に平助は、
  家禄を四分の一に減俸されるという処断を受け、
  家老としての権勢も振るえず、不満を抱いていた。

□そのような境遇にさらされた平助には、恭順派への
  強い傾倒以外に道はなく、結局、戦争には不参加
  となり、五月の長岡城落城の際には、敵前逃亡を
  犯し、官軍に投降している。

□長岡藩家老としての威厳も失せたこの平助の暴挙
  は非難されべきものであったが、朝敵となり戦う
  よりも恭順することの方が大義名分が立つと考え
  ての行動と見れば、決して非難すべき行動では
  なかったといえよう。