有馬 新七

ありま しんしち

1825-1862 享年39歳。

□通称:正義、号:武麿、植鈴子。

□薩摩藩士。
  文武両道にひいで、薩摩藩屈指の
  雄才藩士とうたわれた。
  新影流剣法を修得し、江戸で朱子学を
  学んだ。
  性格は、純粋だが感情を激化させる革
  命家の性格が強かった。

□井伊大老の横暴に憤慨し、僧侶・月照を
  頼って近衛忠煕、三条実美の両公卿の
  密勅の写しを土佐、越前、宇和島の三
  藩に伝達する大役を果たした。

□諸藩の志士と共に井伊大老暗殺計画を
  企てるなど憤激行動は止まらなかった。

□京で義兵を募り挙兵を挙げようとするが
  失敗に終った。

□島津久光の供で上洛した際、真木和泉、
  田中河内介ら急進派の同志と伏見寺
  田屋に集結。
  京都所司代襲撃を謀議していたが、
  決行を目前に島津久光に発覚。

  憤激する久光の上意討ちに合い、同郷
  の薩摩藩士と壮絶な斬りあいを演じ、
  壮絶死する。

Wikipedia「有馬新七」から引用
文武両道の有望藩士だった有馬だが、
無念にも時代の嵐に飲み込まれてしまった。

参考:Wikipedia「有馬新七」