姉小路 公知

あねがこうじ きんとも

1840-1863 享年24歳。

□1840年天保10年、公卿・姉小路公前の子として生まれる。

□三条実美と並ぶ急進尊王攘夷派の
  公卿。

□長州、土佐の志士たちの力を背景に朝廷
  内で権勢を振るう。

□開国反対の急先鋒として活動し、勝海舟
  に持論を説くなど海防に強い関心を
  持っていた。

□1862年文久2年9月、右近衛権少将となり、幕府への攘夷

督促の副使として、正使・三条実美と共に江戸へ向かい、

幕臣・勝海舟に案内されて、江戸湾視察などを行った。

□三条実美と共に攘夷派の急先鋒となり、国事参政に就くと、

血気盛んに攘夷運動を展開した。

□しかし、開国派に寝返ったという噂が立ち、刺客に襲われた。

 1863年文久3年5月20日、夜半の深夜まで続いた朝議からの帰途、

 京都朔平門外の猿ヶ辻で3人の刺客に襲われる。

 扇を振るい、相手の刀を奪い、奮戦し、刺客たちを撃退するも、

 頭と胸に重傷を受け、帰宅した翌日21に未明に没した(朔平門外の変)。

Wikipedia「姉小路公知」から引用
公家らしからぬ、巨漢を武器に朝廷内でも
威風堂々と意見を述べ、
開国反対の急先鋒として活躍した。
 強硬派公卿として、
ますます手腕を振るったものの、
刺客の手にかかり、無念の辻斬りとなった。

参考:Wikipedia「姉小路公知」