維新の志士たち

幕末維新の志士たちについて、紹介しているサイトです。幕末維新時代の英傑たちについて、色々と考察していきます。ごゆっくりとお楽しみください。

「長州藩」の記事一覧

真木 和泉

真木 和泉まき いずみ1813-1864享年52歳。 □筑後久留米藩の水天宮(すいてんぐう)神職の家に  生まれる。  国学を修め、尊皇攘夷を唱える水戸学に影響を  受け、次第に尊攘思想に目覚めて行く。 □弱冠11歳で家 […]

長州藩

ちょうしゅうはん 長州藩の藩祖は、毛利輝元である。毛利輝元は天下分け目の決戦である関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務め、東軍の総大将を務めた徳川家康と敵対した。 しかし、戦う事無く戦局は東軍へ完全に傾き、戦後は領国安堵を許さ […]

赤根 武人

あかね たけと 1838-1866 享年29歳。 名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平 □赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して  おり、なかなか多くの勉学を得ている。   海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、  郷校・克己 […]

河上 彦斎

かわかみ げんさい 1834-1871 享年38歳。 熊本藩士。のち高田源兵衛(たかだげんべえ)と改名。 □幕末に吹き荒れた天誅テロ行為”人斬り”  の実行犯の一人。  単なる荒くれ者ではなく、列記とした憂  国者であっ […]

沢 宣嘉

さわ のぶよし 1835-1873 享年39歳。 □姉小路公遂(あねこうじきんかつ)の次  男として生まれる。  幼い頃から非凡な才知を現し、和歌・剣  術・馬術に長けた。   17歳の時、公卿・船橋家の支流である  沢 […]

三条 実愛

さんじょう さねなる 1820-1909 享年90歳。 □通称:維新後、改名して嵯峨実愛。 □1858年安政5年、幕府が朝廷に対して、通商条約締結の勅許を求めた際、 廷臣八十八卿の一人に列して、反対論を唱えた。これにより […]

三条 実美

さんじょう さねとみ 1838-1891 享年55歳。 三条実万(さんじょうさねつむ)の子。尊王攘夷派の公卿。 □14代将軍・徳川家茂に攘夷督促の朝命  を伝える使者を務めるなあど尊王攘夷  派公卿の急先鋒として活躍。 […]

坂本 龍馬

さかもと りょうま 1835-1837 享年33歳。 土佐藩の郷士。変名は、才谷梅太郎。才谷の姓は、坂本家本家の商家・才谷屋という屋号から取ったという。才谷屋は”浅井金持ち、川崎地持ち、上の才谷道具持ち”と地元で歌われた […]

鳥尾 小弥太

とりお こやた 1847-1905 享年59歳。 名称:中村一之助、百太郎、照光、    鳳輔、敬孝 □1858年(安政5年)、小弥太は砲術の大  家であった江川太郎左衛門を師事して、  砲術・兵学を学んだ。 □後に帰藩 […]

前原 一誠

まえばら いっせい 1834-1876 享年43歳。 名称:佐世八十郎、彦太郎、号は太虚洞、    行屍散人 □1857年(安政4年)10月、前原は松下  村塾に入る。  松陰は「勇あり、智あり、誠実人に過ぐ」  と前原 […]

山田 顕義

やまだ あきよし 1844-1892 享年49歳。 名称:市之允、号は狂痴、空斎、養浩斎、    不抜、韓峰山人 □長州藩士大組士の長男として誕生。  高杉晋作と同じく中級の藩士の出で  ある。顕義の祖父の兄、つまり大伯 […]

吉田 稔麿

よしだ としまろ 1841-1864 享年24歳。 名称:栄太郎、秀実、無窮、無逸、    松村小介、松里勇 □1841年12月、長州藩足軽・吉田清内の  長男として誕生。 □1853年、江戸に赴き、江戸藩邸に仕  える […]

入江 九一

いりえ くいち 1837-1864 享年28歳。 □萩藩足軽・入江嘉伝次の長男として誕生。 □1853年、吉田松陰の友人・中谷正亮と親交を 深める。 □1856年、父・嘉伝次が病死す。 □1857年、実弟・野村和作、16 […]

福原 越後

ふくはら えちご 1815-1864 享年50歳。 ■通称:徴之助、佐世主殿、号:翠崖 □長州藩家老。  徳山藩主の子だったが、長州藩の  家老の家を継いだ。 □禁門の変では、京都で長州兵を率い  て戦ったが、薩摩、会津 […]

品川 弥二郎

しながわ やじろう 1843-1900 享年58歳。 長州藩士。□松下村塾に入り、尊王攘夷、討幕運動  に参加。 □薩長同盟に尽力し、戊辰戦争では、東  北各地を転戦した。 □1870年、渡欧し、プロイセンの農政、協   […]

来島 又兵衛

きじま またべえ 1817-1864 享年58歳。 □長州藩士。  巨漢にして大力で知られ、剣術、馬術  と武芸に秀でた豪傑である。 □長州藩急進派の先頭に立ち、高杉晋作  が奇兵隊を組織すると、又兵衛はそれ  に応じて […]

世良 修蔵

せら しゅうぞう 1835-1868 享年34歳。 □周防国大島郡椋野(むくの)村の庄屋  の出。長州藩家老・浦靱負(うらゆきえ)  の家臣であった。 □世良は、奇兵隊の三代目総督となった  赤根武人(あかねたけと)と同 […]

広沢 真臣

ひろさわ さねおみ 1833-1871 享年39歳。 長州藩士。通称、兵助、金吾。号は障岳。 □藩の革新派として藩政改革に従事。  改革を推し進めつつ、尊攘運動に  も参加。 □守旧派の巻き返しで一時失脚する。 □186 […]

長井 雅楽

ながい うた 1819-1863 享年45歳。 長州藩士。名は時庸、隼人、右近。 □1861年、著書「航海遠略策」で積極開国  を基本とする公武合体を主張。藩是とし  て公武合体を目指して、周旋する。   長井は、長州藩 […]

伊藤 博文

いとう ひろぶみ 1841-1909 享年69歳。 名は、利助、俊輔。号は春畝。変名は、花山春輔(はなやましゅんすけ)。 □博文は周防国熊毛郡束荷村の農民・林  十蔵の子として生まれる。 □1854年、父・林十蔵が萩藩士 […]

井上 馨

いのうえ かおる 1835-1915 享年81歳。 長州藩士。名は、勇吉、友次郎、聞多。 □1835年、萩藩士・井上光亨(みつ  あき)の次男として誕生。 □1852年、井上は17歳で明倫館に  入り、勉学に励む。 □1 […]

椋梨 藤太

むくなし とうた □長州藩重臣。  長州藩校明倫館の興隆に尽力した。 □恭順派の派閥を組織し、革新派と激し  く対立した。  目まぐるしく藩政実権の争奪戦を行っ  た。 □倒幕への藩論が固まると失脚し、斬首  された。

周布 政之助

すふ まさのすけ □長州藩重臣。  村田清風の志を受け継ぎ、藩政改革を  実行した。 □吉田松陰、高杉晋作ら急進派はよく理  解し、後援した。  その為、藩内保守派と対立し、藩政主  導権をめぐって、激しい争奪戦を繰り  […]

国司 信濃

くにし しなの □長州藩重臣。  長州藩士の子として生まれるが、国司  氏の養子となり、長州藩重臣として  活躍した。 □禁門の変後、福原越後、益田右衛門介  らと共に、藩兵指揮の失態を問われ、  第一次長州征伐で幕府謝 […]

益田 右衛門介

ますだ うえもんのすけ □長州藩家老。  吉田松陰に兵学を学ぶ。 □攘夷親征を建議し、朝廷から勅命を得  るが8.18の政変で朝議が一変。  打開策を見出せず、三条実美ら七卿と  ともに帰国することとなる。 □第一次長州 […]

大村 益次郎

おおむら ますじろう 1824-1869 享年46歳。 長州藩士。長州藩医の子。旧名は、村田蔵六、藤原永敏。 □1824年、益次郎は周防の鋳銭司村(  すぜんじむら)で生まれた。  長州藩出身とは成っているが実際は  、 […]

山県 有朋

やまがた ありとも 1838-1922 享年86歳。 名は、小助、小輔、狂介。 □有朋は、長州藩足軽以下の最下層の仲  間(ちゅうげん)の家に生まれる。 □有朋は、明倫館の手子役など最下級の  職に就いた。手子は、給仕ま […]

高杉 晋作

たかすぎ しんさく 1839-1867 享年29歳。 萩藩士。名は、暢夫(ちょうふ)、春風。号は東行。変名は谷梅之助、谷梅助、     備後屋助一郎。 □1839年8月20日、萩藩士・高杉小忠太  の長男として誕生。高杉 […]

久坂 玄瑞

くさか げんずい 1840-1864 享年25歳。 長州藩士。通称、義助、通武(みちたけ)。 □1840年、長州萩藩医・久坂良迪(りょ  うてき)の子として生まれる。 □1846年、玄瑞7歳の時、萩城下平安  古(ひやこ […]

吉田 松蔭

よしだ しょういん 1830-1859年 享年30歳。 長州藩士。杉常道の子。名は矩方。幼名は寅次郎。 □1830年(天保元年)、長州藩の下級  武士・杉家の次男として、萩にて  誕生。 □わずか5歳で叔父・吉田賢良(よ […]