長井 雅楽

ながい うた

1819-1863 享年45歳。

長州藩士。
名は時庸、隼人、右近。

□1861年、著書「航海遠略策」で積極開国
  を基本とする公武合体を主張。藩是とし
  て公武合体を目指して、周旋する。

  長井は、長州藩単独で海軍を整備して、
  世界の大海原に乗り出し、西洋列強と貿
  易を盛んに行うという開国政策を藩是に
  すべきことを主張した。

  当初は、この積極的な開国政策は高評
  を得たが、次第に尊王攘夷論を展開す
  る桂小五郎、久坂玄瑞らの勢力に押さ
  れ、いつのまにか開国政策は雲散霧消
  することとなった。

  尊王攘夷運動は、次第に大きくなり、長
  井らの開国論者の声はかき消される結
  果となる。

□薩摩藩の台頭、藩論の転換で孤立し、自
  刃を命ぜられる。

Wikipedia「長井雅楽」から引用
「航海遠略策」を示し、一時は長州藩の藩是を取り付けるも、
幕府、薩摩藩ら公武合体派の台頭を受け、
長州藩の危機を招いた責任を取り、自刃して果てた。

参考:Wikipedia「長井雅楽」