吉田 稔麿

よしだ としまろ

1841-1864 享年24歳。

名称:栄太郎、秀実、無窮、無逸、
    松村小介、松里勇

□1841年12月、長州藩足軽・吉田清内の
  長男として誕生。

□1853年、江戸に赴き、江戸藩邸に仕
  える。

□1857年夏頃、吉田松陰に師事して、松下
  村塾で幅を利かす。
  師・吉田松陰から”愛すべき才敏、敬す
  べき陰頑”と称され、高杉晋作の陽頑と
  対比されるなどなかなかの定評を得て
  いた。

□1858年、師・松陰の投獄に際し、藩庁要
  路の難詰を企て、謹慎処分となる。

□1860年、兵庫御備場御番手となる。
  同年8月、稔麿は脱藩して江戸に出立。
  幕臣・妻木田宮の傭兵となる。

□1862年、伊藤博文らを頼って、京都藩邸
  に自首し、脱藩の罪を許される。

□1864年6月、池田屋にて伊藤博文ら同志
  と会合中、新選組に襲撃され自刃。
  享年24歳。

Wikipedia「吉田稔麿」から引用
恩師・吉田松陰からも高く評価された
その才覚だったが、寺田屋にて無念な最後を遂げた。

参考:Wikipedia「吉田稔麿」