しまづ ぶんご
1801-1873 享年73歳。
□通称:直次郎、愛次郎、藤次郎(藤十郎とも)、式部、主計、久宝((久寶とも)ひさたか)、号:豊山。
□島津久豊の三男・季久を祖とする島津豊州家15代目・島津久長(丹波)の子。
父・久長同様、薩摩藩主の家老を務めた。
1834年天保5年、家督を継いだ。
□薩摩藩重臣。 1840年天保10年、薩摩藩家老となる。 薩摩藩の金欠財政の改革に取り組み、 潤沢な藩財政へと好転させることに 成功。 薩摩藩を雄藩へと仕立てた影の功労 者である。 □しかし、島津家継嗣問題では、斉彬の 才能を軽視し、お家騒動を巻き起こ した。 □斉彬死後、藩政に復帰し、藩財政の 後見を務めた。 前藩主・島津斉興の志治で、家老の島津久徴を罷免し、 島津斉彬の近代化政策とは逆行するような保守的政策を 断行した。 勤王家・月照の保護を拒否した。そのため、月照をかくまっていた 西郷隆盛は、行き場を失い、月照と共に失意の入水自殺を謀る。 この非情な振る舞いをした豊後への藩士たちの反感は強まった。 □1859年安政6年、斉興が没すると、薩摩藩主・忠義の実父である島津久光が実験を握ると、久光は斉彬の政策へ藩政を戻すと、豊後は罷免され、失脚した。 |