大山 巌

おおやま いわお

1842-1916 享年75歳。

名称:岩次郎、弥助、清海、号は赫山
身分:薩摩藩士

□西郷隆盛の従弟にあたり、子供の頃か
  ら西郷の影響を受けて育つ。
  青年になると薩摩藩の俊逸・有馬新七
  の主張に共鳴して、その一派に加わる。

  寺田屋にて開かれた会合に参加するも
  薩摩藩に捕縛され、禁固刑に処される。

□薩英戦争に際して、軍功を挙げ、罪状を
  赦される。
  その後は、西洋軍備の必要性を知り、江
  戸に出て、西洋砲術の大家・江川太郎
  左衛門の塾に入る。
  高島流砲術を学び、自ら弥助砲を開発
  する。

□維新後は、軍事方面の事柄を学び、フラ
  ンスからスイスへと渡り歩いて、西洋軍
  学を学んだ。
  1873年(明治6年)、征韓論に敗れた西
  郷が下野すると大山は留学先から急き
  ょ帰国命令が下る。
  帰国した大山は、西郷に上京するよう説
  得にあたったが失敗に終った。

  西南戦争では、兄と慕う西郷を討たねば
  成らなくなり、戦後は精神が沈着して寡
  黙になったという。

□その後は軍部にて近代日本の軍備強化
  にあたり、陸軍卿、参謀本部長などを歴
  任した。
  その後、日清・日露戦争に際して、戦場
  にて指揮を執ったが、司令官よりも技術
  面での功績が多い。

  政治家としては、参議、文部大臣、法務
  大臣と政府の要職を歴任し、活躍を見て
  いる。

Wikipedia「大山巌」から引用
近代陸軍の軍制改革に着手し、新鋭兵器の開発まで手がけるなど
近代国家建設に多大な貢献を成した。

参考:Wikipedia「大山巌」