維新の志士たち

幕末維新の志士たちについて、紹介しているサイトです。幕末維新時代の英傑たちについて、色々と考察していきます。ごゆっくりとお楽しみください。

Author: ratosh@309

佐久間 象山

佐久間 象山さくま しょうざん1811-1864享年54歳。 名称:啓之助、修理、国忠、啓(ひらき)、子迪、子明身分:松代藩士。 □1811年、松代城下にて佐久間一学の長男として  生まれる。 □23歳で江戸に出て、遊学 […]

相楽 総三

相楽 総三  1840-1868さがら そうぞう享年29歳。 名称:本名は小島四郎左衛門将満。信臣、    武振、変名は村上四郎、相楽総三。江戸出身。 □平田流国学を学び、各地で尊攘派志士たちと  交遊する。 □西郷隆盛 […]

真木 和泉

真木 和泉まき いずみ1813-1864享年52歳。 □筑後久留米藩の水天宮(すいてんぐう)神職の家に  生まれる。  国学を修め、尊皇攘夷を唱える水戸学に影響を  受け、次第に尊攘思想に目覚めて行く。 □弱冠11歳で家 […]

清河 八郎

清河 八郎1830-1863享年34歳。 名称:変名は、大谷雄蔵、日下部達三 □文武両道の有志として、尊王運動に奔走する。  青年期に江戸遊学を望むが反対され、そのまま  出奔し、東条一堂、安積艮斎(あさかごんさい)   […]

林 玖十郎

林 玖十郎はやし くじゅうろう 身分:宇和島藩士。 □藩主・伊達宗城に登用され、雄藩連合の実現を  目指して、京・大坂・長州を駆け回った。  西郷隆盛、広沢真臣ら有志たちとも親交を持ち  、戊辰戦争では東征軍の参謀を務め […]

稲垣 平助

稲垣 平助いながき へいすけ1854-1931享年78歳。 身分:長岡藩家老。 □長岡藩筆頭家老を務めた。  他藩と同様、長岡藩にも佐幕か、恭順かで藩内  では二分され、その葛藤が起こった。  河井継之助に代表されるよう […]

鵜殿 団次郎

鵜殿 団次郎うどの だんじろう1831-1868享年38歳。 長岡藩士。号は、春風(しゅんぷう)。□団次郎は、早くから藩校・崇徳館に学び、  1855年、25歳の時、江戸に遊学し、  蘭学と英学を修得。その外国知識を   […]

三島 億二郎

三島 億二郎みしま おくじろう1825-1893享年69歳。 名称:鋭太郎(えいたろう)。身分:長岡藩士。 □長岡藩士・伊丹市左衛門の次男として誕生。 □兄・政由(まさよし)が伊丹家を継いだことから  1844年、億二郎 […]

牧野 忠訓

まきの ただくに □長岡藩主・牧野忠恭の世子として誕生。 □1867年、忠訓24歳にして父より家督を  譲られ、長岡藩主12代目となる。 □1868年、官軍の北上に対して、奥羽列藩同盟  の先鋒としてこれに抵抗。  激し […]

大島 高任

おおしま たかとう 身分:盛岡藩士。 □江戸遊学を成し、蘭学を修める。  帰藩後は、日本最初の溶鉱炉製鉄所を建設。  近代日本鉱山の基礎を築く。 □鉱山技能の卓越さから水戸藩の藤田東湖に  招かれ、日本初の反射炉を築いて […]

三戸 式部

さんのへ しきぶ 身分:盛岡藩重臣。 □佐幕派の立場を取り、奥羽越列藩同盟が結成されると  盛岡藩の権限を楢山佐渡に一任する。  藩内では、同盟に加盟後も徹底抗戦派と和平恭順派  とに別れ、議論は紛糾した。 □楢山佐渡が […]

楢山 佐渡

ならやま さど 身分:盛岡藩家老。 □盛岡藩の保守派を代表する家老で、革新派の頭目に  して家老の東中務とは対立した。   藩主・南部利剛の母を叔母に持つことから藩上層部  から多くの支持者を得ており、藩政に強い影響力を […]

東 中務

ひがし なかつかさ 身分:盛岡藩家老。 □盛岡藩革新派の頭目にして、藩を代表する家老。  同じく藩を代表する家老で保守派の楢山佐渡とは、  対立した。 □戊辰戦争が起こると官軍優勢と見た東は、藩主の子  を人質として官軍 […]

南部 利剛

なんぶ としひさ □終始、温厚な態度で藩内を取り仕切り、藩政の運営は  全面的に家臣たちに任せていた。   幕末の盛岡藩は諸問題を抱え、藩は覆いに疲弊して  いた。特に百姓一揆や勤王党と佐幕党との抗争など  が激化し、内 […]

細谷 十太夫

ほそや じゅうだゆう 身分:仙台藩士。 □仙台藩下級武士の家に生まれる。  幼くして剣術・槍術・弓術など諸武芸に長け、  仙台藩を代表する武芸家となる。 □戊辰戦争が勃発すると細谷は敵の偵察の任  にあたり、情報収集に奔 […]

赤禰 武人

あかね たけと 1838-1866 享年29歳。 名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平 □赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して  おり、なかなか多くの勉学を得ている。   海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、  郷校・克己 […]

近衛 忠熙

このえ ただひろ 1808-1898 享年91際。 □左大臣・近衛基前の長男として生まれる。 近衛家27代当主となる。 左大臣、関白などを歴任した。 □島津斉彬と結んで、公武合体を目指した。 □その後、倒幕派が宮中の大勢 […]

庄内藩

しょうないはん 出羽国 別称:鶴岡藩 改称:大泉藩 藩主:酒井 忠宝 さかい ただみち 譜代 12万石 山形県鶴岡市一帯 神田橋 佐幕 ■藩の歴史  江戸時代初期、山形県の大部分を領有していたのは最上家であったが、改易後 […]

佐賀藩

佐賀藩 さがはん≪場所≫ 佐賀市  幕末期、佐賀藩でも財政難に苦しんでいたが、弱冠17歳の若さで10代藩主となった鍋島直正は、自ら率先して藩の財政再建に取り組んだ。 質素倹約を奨励し、400人の人員整理を断行し、藩の出費 […]

【動画】五稜郭(北海道函館市)

北海道函館市にある五稜郭について、簡単な説明の動画です。 戊辰戦争の最後を飾る激しい戦場後となった五稜郭。 いまは、平和な観光名所として、連日多くの観光客で賑わっている。 新選組の土方歳三終焉の地でもある。 【公式】五稜 […]

【動画】鶴ヶ城(福島県会津若松市)

福島県会津若松市の鶴ヶ城の簡単な紹介動画です。 幕末・明治維新にあって、戊辰戦争にて、最大の激戦となった鶴ヶ城攻防戦。 藩主・松平容保は、徹底抗戦を唱え、旧幕府軍の最期の意地を見せ死闘を繰り広げた。 数千発に及ぶ、砲弾を […]

参考文献

当サイトで使用した参考文献のリストです。 『歴史読本』編集部『江戸三百藩藩主列伝』(新人物往来社,2012年4月23日) 山本博文[監修]『江戸時代265年ニュース事典』(柏書房,2012年9月25日) 人文社編集部[編 […]

土佐藩

とさはん 1600年(慶長5年)、土佐に入部した山内一豊(やまのうちかずとよ)によって、土佐藩は始まる。幕末期に起きた天保の大飢饉によって、甚大な被害をこうむった土佐藩では、天保の改革を断行して、藩の財政窮乏の危機を脱し […]

長州藩

ちょうしゅうはん 長州藩の藩祖は、毛利輝元である。毛利輝元は天下分け目の決戦である関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務め、東軍の総大将を務めた徳川家康と敵対した。 しかし、戦う事無く戦局は東軍へ完全に傾き、戦後は領国安堵を許さ […]

薩摩藩

さつまはん  西南雄藩の筆頭を行く薩摩藩ではあったが、幕末時代には同様に藩の財政難に直面し、その打開策が模索されていた。薩摩藩の財政窮乏を救ったのは、薩摩藩士・調所広郷(ずしょひろさと)であった。調所はまず、膨大に膨らん […]

赤根 武人

あかね たけと 1838-1866 享年29歳。 名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平 □赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して  おり、なかなか多くの勉学を得ている。   海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、  郷校・克己 […]

川路 利良

かわじ としよし 1834-1879 享年46歳。 名称:正之進、号は竜泉身分:薩摩藩士 □禁門の変の時に西郷隆盛より、逸材の  才能を見出され、薩摩藩の藩政組織の  一員に組み込まれる。 □戊辰戦争では、足軽組織を編成 […]

有馬 新七

ありま しんしち 1825-1862 享年39歳。 □通称:正義、号:武麿、植鈴子。 □薩摩藩士。  文武両道にひいで、薩摩藩屈指の  雄才藩士とうたわれた。  新影流剣法を修得し、江戸で朱子学を  学んだ。  性格は、 […]