桐野 利秋

きりの としあき

1839-1877 享年39歳。

別名:中村 半次郎(なかむら はんじろう)、信作(晋作、新作)。

□薩摩藩士。
  薩摩藩の徴禄の家に生まれ、独学な
  がら文武両道に長じた。

□禁門の変で活躍し、西郷隆盛から知遇を
  受けた。

□尊王論を信じ、倒幕を目指した。
  剣術に長け、京都で”人斬り半次郎”の
  異名をとり、京都で暗躍するまでに
  なる。
  あの新選組でさえ恐れたともいわれる
  剣豪。

  幕末の四大人斬りの一人に数えられる。

  (他は、田中新兵衛、河上彦斎、岡田以蔵)

□会津征討に参軍し、会津若松城受取りで
  名声を上げた。

□明治政府では、西郷隆盛と共に重職に就
  き、旧武士の救済を目的に征韓論を主
  張した。
  大久保利通、岩倉具視らの国富論と対
  立し、政府を去る。

□西南戦争で西郷隆盛と共に明治政府軍
  と勇敢に戦うが戦死した。

Wikipedia「桐野利秋」から引用
”人斬り半次郎”との異名を取り、
謀略渦巻く京都の町で活躍した。
 明治高官にまで上り詰めたが、
最後は西郷とともに西南にて、
華々しく散った。

参考:Wikipedia「桐野利秋」