中川宮 朝彦親王

なかがわのみや あさひこしんのう

1824-1891 享年67歳。

□通称:久邇宮(くにのみや)

□1836年天保7年、仁孝天皇の猶子となり、

翌年、親王宣下、成憲(なりのり)の名を下賜される。

□安政の条約勅許問題、将軍継嗣問題
  が勃発すると、志士らの意見を入れて
  条約勅許に反対。
  一橋慶喜擁立派を支持した。

□幽閉処分を受けるが孝明天皇の信任
  篤く許された。

□公武合体を唱え、大和行幸や攘夷親征
  に反対した。

□会津、薩摩と協力して8月18日のクーデ
  ターを起す。

□公武合体の主張を徹底し、徳川慶喜や
  松平容保らと協議を重ねた。

□倒幕の風潮が強くなると活動の場を失
  い、失速した。

Wikipedia「久邇宮朝彦親王」から引用
8・18クーデターを成功させ、
京都より尊攘の志士たち追放に成功した。
 だが、時代の逆風に遭い、無念の失脚を見た。

参考:Wikipedia「久邇宮朝彦親王」