高橋 泥舟

たかはし でいしゅう

1835-1903 享年69歳。

名称:謙三郎、精一、伊勢守、政晃、寛猛

□泥舟は、勝海舟・山岡鉄舟とともに「幕
  末の三舟」と総称された逸材である。

  妹婿の鉄舟とは義兄弟でもあった。
  鉄舟と同じく槍術家として、名を馳せた
  泥舟は、1856年(安政3年)、講武所にて
  槍術教授となり、子弟を教えている。
  後には、師範役ともなり、剣客として声
  望を高めた。

□1863年(文久3年)、将軍・徳川家茂が上
  洛すると、泥舟は浪士取締りの任務に
  就き、治安回復を託された。
  だが、幕閣と馬が合わず、役職は御免と
  なり、一時期、蟄居の憂き目を見る。
  その後、赦されて再び槍術師範役を務
  めている。

  1866年(慶応2年)には、遊撃隊頭取とも
  なり、幕臣として重責を負った。

□1868年(慶応4年)、戊辰戦争が勃発する
  と元将軍・徳川慶喜は徹底恭順を示し、
  上野寛永寺に謹慎した。
  泥舟は慶喜の身辺警護の任に就いて
  いる。

Wikipedia「高橋泥舟」から引用
幕末屈指の槍術家として、幕府のために尽力した。
戊辰戦争で崩れゆく幕府組織にあって、将軍警護という大事を成し遂げた。

参考:Wikipedia「高橋泥舟」