とくがわ いえよし

1793-1853 享年61歳。

□第11代将軍・徳川家斉の次男として、江戸城にて生まれる。

  1837年天保8年、家慶は45歳にして、徳川幕府12代将軍に就任すると、実権
  を掌握し、水野忠邦を重用し、天保の改革を実行させた。

  改革に反対する家斉派を粛清し、幕府財政再建を目指した。

  徹底した 徹底的な奢侈の取締りと緊縮財政政策を採用したため

  世間には、不人気で、支持されなかった。

□言論統制も行い、蛮社の獄が起こり、高野長英、

 渡辺崋山など開明派や蘭学者たちを弾圧した。

□水野忠邦が失脚すると阿部正弘を登用
  し、新たな欧米列強の脅威に対応させた。

 1853年嘉永6年6月、アメリカのペリー艦隊が浦賀沖に来航する黒船騒動が起こると、

幕府はその対策に追われることとなる。外国との対応に取り組む最中、病没した。

Wikipedia「徳川家慶」から引用

参考:Wikipedia「徳川家慶」