幕末の志士たちの中には、若くして結核(当時は労咳や肺病とも呼ばれました)によって亡くなった人物が複数います。当時、結核は「不治の病」と恐れられており、多くの若者の命を奪いました。以下に、結核で亡くなった幕末志士の代表的な人物を詳しく解説します。
① 高杉晋作(たかすぎ しんさく)
- 生没年: 1839年〜1867年(享年27歳)
- 藩: 長州藩(現在の山口県)
- 主な功績:
- 奇兵隊を創設して長州藩の軍制改革を推進。
- 下関戦争や長州藩内の倒幕運動で活躍した中心人物。
- 結核との闘い:
- 1864年頃から肺結核を発病し、喀血を繰り返しながら活動を継続。
- 晩年は療養のため下関に滞在したが、病状悪化のため亡くなった。
- 影響:
- 死後、高杉の同志であった木戸孝允や伊藤博文らが意思を継ぎ、長州藩の倒幕運動を推進した。
② 沖田総司(おきた そうじ)
- 生没年: 1842年頃〜1868年(享年約25〜26歳)
- 藩・所属: 幕府・新選組一番隊組長
- 活躍:
- 新選組随一の剣豪として知られ、天然理心流の名手。
- 池田屋事件(1864年)などで中心的な活躍をした。
- 結核との闘い:
- 1867年頃より肺結核を患い、咳や喀血に苦しんだとされる。
- 戊辰戦争が勃発した1868年には病状が悪化し、江戸で療養生活を送るも回復せず死去。
なぜ幕末期に結核が多かったのか?
幕末期に結核が蔓延した主な要因として、以下のような社会的背景が考えられます。
- 過密で不衛生な生活環境:
- 長屋や町屋での集団生活により感染が広がりやすかった。
- 栄養不足と過労:
- 政治的動乱の中で志士たちは休息や栄養が不足し、免疫力が低下した。
- 医療技術の未発達:
- 有効な治療法や予防策がなく、結核は致死的な病として猛威を振るった。
幕末期における結核への対応と限界
当時の医療は漢方医学が中心であり、滋養強壮を目的とした漢方薬や療養を推奨する以外に方法がありませんでした。西洋医学(蘭学)を学んだ医師もいましたが、結核菌発見(1882年、コッホ)の前であり、原因や治療法を明確に特定できないままでした。
- 療養や栄養摂取
空気の良い場所や温泉地での療養が推奨されるが、実行できるのは裕福な者だけ。 - 漢方治療の限界
効果は一時的な症状の緩和にとどまり、根本治療は不可能。
まとめ
幕末期には、多くの若き志士が結核(労咳)で命を落としました。高杉晋作や沖田総司のような著名な人物が短命に終わったことも、この病気の猛威を象徴しています。結核の蔓延は、幕末の歴史や政治情勢にも少なからぬ影響を与えました。
明治維新以降、結核は本格的に研究されるようになり、日本の医学発展や公衆衛生政策の強化を推進する大きな契機となりました。幕末期の結核事情は、医学史や社会史の観点からも非常に重要な研究対象となっています。