ながおか けんきち

1834-1872 享年39歳。

■通称:今井純正、敦美、字:子行、号:懐山

□土佐藩士。
  高知城下、浦戸町の医者・今井孝順の長男に
  生まれ、江戸、大阪で
  家業を継ぐべく医学を学んだ。
  さらに長崎に赴き、シーボルトに医学を
  学ぶ。
  孝順は、坂本龍馬の継母・伊予の縁者である。
  幼少の頃から河田小龍の下で蘭学を学ぶ。
  長崎で二宮敬作に医学を学ぶ。二宮の師・
  シーボルトが再来日した際に、英語や国際法の
  教えを受けた。
  だが、藩からキリスト教に傾倒している嫌疑を
  かけられ、帰国命令を受け、処罰として、長岡郡
  鹿児村への蟄居を命じられた。
  

□その後、罪を許されたが、やがて脱藩し、長崎へ
  赴き、政治活動に目覚め、同藩出身
  の坂本龍馬の活動に参加した。
  海援隊の書記を務め、龍馬の死後は、
  2代目海援隊隊長に就き、活躍した。

□明治維新後は、三河県知事、大蔵省、工部省などに
  出仕するが1872年明治5年、東京にて病没した。


Wikipedia「長岡謙吉」から引用

参考:Wikipedia「長岡謙吉」