吉田 東洋

よしだ とうよう

1816-1862 享年47歳。

土佐藩士。
■通称:郁助、元吉、官兵衛、正秋、号:東洋。

□江戸で藤田東湖ら知識人と交遊する。

□藩主・山内容堂により仕置き役に起用
  されるも剛腹が災いし、一時罷免と
  なる。

□1858年、復帰した東洋は、西洋兵器の
  素晴らしさに着目し、富国強兵策を唱
  える。

□福岡孝悌、後藤象二郎らの東洋支持派
  を得るも、保守派や武市瑞山ら土佐勤
  王党に憎まれる。
  親友の藤田東湖が「あれでは平穏に死
  ねない」という予言どおり、勤王党らによ
  って、刺殺された。

Wikipedia「吉田東洋」から引用
土佐藩の富国強兵を推進し、後藤象二郎ら有望な人材も
活用したが、武市ら強硬派の反乱に遭い、刺殺された。

参考:Wikipedia「吉田東洋」