
いたがき たいすけ
1837-1919 享年83歳。
□土佐藩士。
土佐藩主・山内容堂の側用人を務める
など雄才振りを発揮し、吉田東洋と交
遊し、学識を磨いた。
□洋式兵学を学び、土佐藩屈指の軍学者
となる。
□上洛して中岡慎太郎、西郷隆盛と会い、
倒幕の密約を結んだ。
□土佐へ帰藩後兵制改革を手がけ、戊辰
戦争では、土佐藩兵を率いて出兵。
会津決戦で軍功を挙げ、すぐれた軍才
を発揮した。
一時の栄光もつかの間、軍人の花も政
治家としての道を切り開くまでには至ら
ず、活躍の場を見失い、郷里に戻る。
□土佐で愛国党を設立。
民衆を政治の基盤とすることを目指して
、自由民権運動の推進者となる。

坂本龍馬や後藤象二郎など板垣と同じ土佐藩の志士は、諸藩の代表が日本の政治を執り行う共和政治を主張し、佐幕的な面を見せていたが、板垣自身は、幕府を倒して、
劇的に政変改革を行うべきだと主張した。
フランス流急進派の政治家。
自由党の中心人物となり、後藤象二郎、星亨らと共に政治改革を推進。
農村中心に士族・豪農を基盤として、自由民権運動を展開。
一院制・主権在民・普通選挙を主張した。

迅衝隊(前列左から伴権太夫、板垣退助(中央)、谷乙猪(少年)、山地忠七。 中列、谷神兵衛、谷干城(襟巻をして刀を持つ男性)、山田清廉、吉本平之助祐雄。 後列、片岡健吉、真辺正精、西山榮、北村重頼、別府彦九郎)

名言を吐く気概を見せた。
