榎本 武揚

えのもと たけあき

1836-1908 享年73歳。

江戸生まれ。
幕臣。
号は梁川。

□長崎の海軍操練所で航海術を学ぶ。
  のちにオランダに留学。

□1868年、帰国後海軍副総裁となる。

□明治政府軍の江戸入城、軍艦引渡
  しを拒否。
  幕府艦隊を率いて、北海道に上陸
  し、新政権を樹立。
  五稜郭に立てこもり、官軍と戦うも、
  黒田清隆のすすめで降伏。

□明治政府に出仕し、海軍卿、外相、
  農商務相などを歴任し、北海道開拓
  などに尽力した。

Wikipedia「榎本武揚」から引用
↑榎本武揚
 近代兵学をオランダにて修得。帰国後は、傾きかけた幕府にあって、
海軍副総裁を勤め、幕府艦隊を率いて、勇敢にも新政府にたてついた。
 新天地・北海道にて独立共和国を建国。新政府に対して、
徹底して抗戦したが、武運なく、降伏した。
 のちに新政府の高官に登り詰め、近代軍制に大きく貢献した。
Wikipedia「榎本武揚」から引用
1864年オランダのハーグにて
撮影した榎本武揚
西洋化を推し進める幕府の期待の星であった。
Wikipedia「榎本武揚」から引用
後列左から小杉雅之進、榎本道章、林董三郎、松岡磐吉、
前列左から荒井郁之助、榎本武揚
Wikipedia「榎本武揚」から引用
晩年の榎本武揚
五稜郭の戦い後、明治新政府に出仕し、日本海軍の近代化に貢献した。
当時、最新の西洋式城郭を築いた五稜郭

参考:Wikipedia「榎本武揚」