維新の志士たち

幕末維新の志士たちについて、紹介しているサイトです。幕末維新時代の英傑たちについて、色々と考察していきます。ごゆっくりとお楽しみください。

「高杉晋作」の記事一覧

赤禰 武人

あかね たけと 1838-1866 享年29歳。 名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平 □赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して  おり、なかなか多くの勉学を得ている。   海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、  郷校・克己 […]

長州藩

ちょうしゅうはん 長州藩の藩祖は、毛利輝元である。毛利輝元は天下分け目の決戦である関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務め、東軍の総大将を務めた徳川家康と敵対した。 しかし、戦う事無く戦局は東軍へ完全に傾き、戦後は領国安堵を許さ […]

赤根 武人

あかね たけと 1838-1866 享年29歳。 名称:文平、乾之丞、貞一、柴屋和平 □赤根は松下村塾以外の塾にも入塾して  おり、なかなか多くの勉学を得ている。   海防僧・月性(げっしょう)の塾に学び、  郷校・克己 […]

河上 彦斎

かわかみ げんさい 1834-1871 享年38歳。 熊本藩士。のち高田源兵衛(たかだげんべえ)と改名。 □幕末に吹き荒れた天誅テロ行為”人斬り”  の実行犯の一人。  単なる荒くれ者ではなく、列記とした憂  国者であっ […]

坂本 龍馬

さかもと りょうま 1835-1837 享年33歳。 土佐藩の郷士。変名は、才谷梅太郎。才谷の姓は、坂本家本家の商家・才谷屋という屋号から取ったという。才谷屋は”浅井金持ち、川崎地持ち、上の才谷道具持ち”と地元で歌われた […]

山田 顕義

やまだ あきよし 1844-1892 享年49歳。 名称:市之允、号は狂痴、空斎、養浩斎、    不抜、韓峰山人 □長州藩士大組士の長男として誕生。  高杉晋作と同じく中級の藩士の出で  ある。顕義の祖父の兄、つまり大伯 […]

入江 九一

いりえ くいち 1837-1864 享年28歳。 □萩藩足軽・入江嘉伝次の長男として誕生。 □1853年、吉田松陰の友人・中谷正亮と親交を 深める。 □1856年、父・嘉伝次が病死す。 □1857年、実弟・野村和作、16 […]

来島 又兵衛

きじま またべえ 1817-1864 享年58歳。 □長州藩士。  巨漢にして大力で知られ、剣術、馬術  と武芸に秀でた豪傑である。 □長州藩急進派の先頭に立ち、高杉晋作  が奇兵隊を組織すると、又兵衛はそれ  に応じて […]

世良 修蔵

せら しゅうぞう 1835-1868 享年34歳。 □周防国大島郡椋野(むくの)村の庄屋  の出。長州藩家老・浦靱負(うらゆきえ)  の家臣であった。 □世良は、奇兵隊の三代目総督となった  赤根武人(あかねたけと)と同 […]

伊藤 博文

いとう ひろぶみ 1841-1909 享年69歳。 名は、利助、俊輔。号は春畝。変名は、花山春輔(はなやましゅんすけ)。 □博文は周防国熊毛郡束荷村の農民・林  十蔵の子として生まれる。 □1854年、父・林十蔵が萩藩士 […]

井上 馨

いのうえ かおる 1835-1915 享年81歳。 長州藩士。名は、勇吉、友次郎、聞多。 □1835年、萩藩士・井上光亨(みつ  あき)の次男として誕生。 □1852年、井上は17歳で明倫館に  入り、勉学に励む。 □1 […]

周布 政之助

すふ まさのすけ □長州藩重臣。  村田清風の志を受け継ぎ、藩政改革を  実行した。 □吉田松陰、高杉晋作ら急進派はよく理  解し、後援した。  その為、藩内保守派と対立し、藩政主  導権をめぐって、激しい争奪戦を繰り  […]

山県 有朋

やまがた ありとも 1838-1922 享年86歳。 名は、小助、小輔、狂介。 □有朋は、長州藩足軽以下の最下層の仲  間(ちゅうげん)の家に生まれる。 □有朋は、明倫館の手子役など最下級の  職に就いた。手子は、給仕ま […]

高杉 晋作

たかすぎ しんさく 1839-1867 享年29歳。 萩藩士。名は、暢夫(ちょうふ)、春風。号は東行。変名は谷梅之助、谷梅助、     備後屋助一郎。 □1839年8月20日、萩藩士・高杉小忠太  の長男として誕生。高杉 […]

吉田 松蔭

よしだ しょういん 1830-1859年 享年30歳。 長州藩士。杉常道の子。名は矩方。幼名は寅次郎。 □1830年(天保元年)、長州藩の下級  武士・杉家の次男として、萩にて  誕生。 □わずか5歳で叔父・吉田賢良(よ […]