徳川 家定

とくがわ いえさだ

1824-1858 享年35歳。

□通称:政之助、家祥

□官位:従二位・権大納言、正二位、従一位・右近衛大将、内大臣、征夷大将軍、正一位・太政大臣

□ペリー来航直後に徳川十三代将軍に
  就任する。

□体が弱く、いつもからだがブルブルと
  震えていた有り様で、とても激動の時代
  にあって、将軍の激務をこなすことは不
  可能であった。

□外国との条約締結問題で朝廷と幕府間
  での対立が激しさを増し、将軍継嗣問題
  も深刻化を増した中、没した。

  家定が没した後、家定に実子がいなか
  ったことで、将軍継嗣問題が勃発する。
  この将軍継嗣問題によって、安政の大
  獄が起き、幕府補強を目指した一橋派
  が衰退した。

  この弾圧を行った幕府保守派で大老の
  井伊直弼が桜田門外の変で討たれる
  と、幕府保守派の威勢をそいだ。

  家定が没したことにより生まれた将軍
  継嗣問題によって、幕府中心の政治権
  勢から幕府権勢の失墜へと時代は移
  行することになった。

Wikipedia「徳川家定」から引用

参考:Wikipedia「徳川家定」