
ながの しゅぜん
1815-1862 享年48歳。
国学者。
□通称:主馬(しゅめ)、義言(よしこと)、桃之舎
□彦根藩主・井伊直弼に 招聘されて、彦根藩校・弘道館国学方に取り立てられる。
さらに直弼の藩政改革にも参画し、政治にかかわることとなる。
直弼から厚い信任を得て、活躍の場を増やす。
□彦根藩主・井伊直弼が大老となると
通商条約勅許問題、将軍継嗣問題に
取り組み、主に京都にて奔走する。
□安政の大獄の機密にもかかわる。
□主君・井伊直弼が暗殺された後も、
密かに活動するも、1862年文久2年、彦根藩が幕府から問責を受けるに当たって、
直弼治世の専横・断行の責任者として、主膳が指名される。やがて、捕らえられ、斬首となった。

井伊直弼にその学識を認められ、以後は直弼の知遇を得る。
直弼が大老となると、主膳は有能な秘書として、政局に携わった。
密かに敵情を探るなど政界で暗躍し、直弼惨殺後も、不気味に活動を行った。
だが、強力な後ろ盾を失ったことで、敵の反発をかわせずに討たれた。
