幕末期(1853年~1867年)の日本において、結核(当時は「労咳(ろうがい)」「肺病(はいびょう)」と呼ばれました)は、致死率が高く有効な治療法がなかったため、「不治の病」として恐れられていました。当時の治療方法や医療事情について詳しく解説します。


1. 幕末における結核への医学的認識

幕末の時代は、結核菌(Mycobacterium tuberculosis)がまだ発見(1882年にドイツのロベルト・コッホが発見)されておらず、病気の原因や感染メカニズムについての科学的理解がありませんでした。

当時の日本では、結核は以下のような病気として認識されていました。

  • 病名: 労咳(消耗するような咳)、肺病(肺に疾患を持つ病)
  • 病因の認識:
    • 疲労や過労、心労が原因とされていた。
    • 「虚弱な体質の者が罹りやすい」と考えられていた。
  • 症状認識:
    • 激しい咳、喀血(血痰)、発熱、寝汗、著しい消耗、衰弱。

2. 漢方医学による結核治療

幕末期の主な医療は漢方医学が中心でした。結核に対して行われた漢方医学の治療法は、根本的治療というより、症状を緩和し体力を回復することを目指していました。

治療法具体的な方法・内容目的・効果
漢方薬人参養栄湯、補中益気湯、麦門冬湯など滋養強壮薬体力の回復、咳症状の緩和
鍼灸治療胸部や背部への鍼灸呼吸の改善、体調の回復
食養生米や魚介類、卵、滋養のある食材を推奨体力維持、消耗の防止

漢方薬の限界

  • 漢方薬は症状を緩和したり一時的に体力を回復させる効果がありましたが、感染を根本的に治癒させることはできませんでした。

3. 西洋医学(蘭方医学)による結核治療の試み

幕末期には、西洋医学(特にオランダ医学=蘭方医学)が導入され、医師の間で西洋の治療法を模索する動きが始まりました。しかし、結核については治療法が未発達で、幕末期に具体的な治癒法が発見されることはありませんでした。

それでも西洋医学に基づいた以下のような試みが行われました。

治療法具体的な方法・内容目的・効果
療養(転地療養)空気のきれいな地方や温泉地で静養自然治癒力を促す(新鮮な空気で肺機能回復)
日光浴・外気浴日中に日光を浴びる体力増強、症状の緩和
喀血に対する止血薬阿片チンキなどを使い咳を鎮める一時的な症状緩和

これらの方法も、根本的な治癒を目的としていたわけではなく、主に体力の回復や症状緩和を目的としていました。


4. 民間療法と迷信的な治療法

幕末期には医学的知識が十分に普及しておらず、多くの人々が民間療法や迷信的な治療法に頼っていました。

民間療法方法・内容目的・効果
動物性食品の摂取熊やイノシシの肉を食べる、血を飲む体力の回復、栄養補給
神仏への祈祷寺社仏閣での祈願、お札の使用精神的な安定(実質的効果なし)
呪術的療法病気封じのおまじない迷信的な安心感のみ

5. 結核治療の実際の事例(幕末志士たちの場合)

幕末志士の多くは、結核を患いながらも積極的に活動しましたが、ほとんどが治療に成功せず、若くして死亡しました。

  • 高杉晋作(長州藩)
    • 下関や湯田温泉などで転地療養を行ったが病状は悪化し、1867年(27歳)に病没。
  • 沖田総司(新選組)
    • 江戸にて療養を続けるも回復せず、1868年(約25〜26歳)に死去。

彼らの療養は主に静養(温泉療養、空気の良い場所への移動)や滋養強壮を中心としたもので、根本的な治療法がなかったため、ほとんどの場合、死去に至りました。


6. 結核治療に関する医療施設の状況(幕末期)

幕末期の医療施設は結核の本格的な治療を目的とする施設は存在せず、一般病院や私塾(蘭方医学塾)などが存在したものの、あくまで診察や応急処置、症状の緩和が中心でした。

施設名設立者・設立年特徴・結核への対応
長崎養生所ポンペ医師(オランダ)1857年西洋医学の教育と普及を目的とし、結核患者に療養を推奨したが、治療法は確立していない
適塾(大坂)緒方洪庵・1838年設立西洋医学を教え、結核に関する情報や症状緩和策を教授

こうした施設でも、西洋医学を導入しながら、療養や栄養摂取の指導以上の具体的治療は行えませんでした。


7. 幕末期の結核治療の限界とその後の展開

幕末期には結核の感染メカニズムが科学的に理解されておらず、対症療法しか行われませんでした。明治維新後、西洋医学の本格的な導入とともに以下の進展がありました。

  • 1882年
    • ロベルト・コッホにより結核菌が発見され、感染メカニズムが判明。
  • 明治〜大正期
    • サナトリウム(療養所)が各地に設置され、結核患者を隔離・療養させる施設が普及。
    • 大正期以降、BCGワクチンの開発により予防接種が普及。

幕末期はこうした展開の前段階にあり、結核の治療に対して明確な成果を出すことはできませんでしたが、医学的認識が高まる過渡期だったのです。


まとめ

幕末期の日本での結核治療は、根本的治療が不可能だったため、主に体力の回復を目指した漢方治療や転地療養、栄養摂取、民間療法に限られていました。結核が感染症として理解され、効果的な治療法や予防法が普及するのは、明治時代以降のこととなります。幕末期の結核治療は、この後の医学発展への礎を築く重要な時代であったと言えます。