幕末期(1853年~1867年)の日本は、西洋諸国との交流や国内の社会混乱に伴い、さまざまな疫病(感染症)が流行しました。当時流行した代表的な疫病とその影響、当時の対処法などを詳しく解説します。
Contents
幕末に流行した主な疫病
幕末期は、交通網の整備や開国に伴う外国人との接触の拡大によって、多様な感染症が国内で蔓延しました。特に流行した疫病には以下のものがあります。
疫病名 | 特徴・症状 | 流行時期 | 流行地域 |
---|---|---|---|
コレラ(虎列剌) | 下痢、嘔吐、脱水症状を引き起こし、致死率が高い | 1858年以降 | 主に開港都市(長崎、横浜など)から全国へ |
天然痘(疱瘡) | 高熱、発疹、全身に痘瘡が現れ、後遺症が残る | 江戸時代全般〜幕末期 | 全国的 |
麻疹(はしか) | 高熱、発疹、呼吸器症状を伴う感染症 | 幕末期頻繁に流行 | 江戸、大坂を中心に都市部 |
赤痢 | 発熱、激しい下痢、腹痛を起こす細菌感染症 | 幕末期に流行 | 都市部や軍隊内で流行 |
インフルエンザ(流行性感冒) | 高熱、全身倦怠感、呼吸器症状を引き起こすウイルス感染症 | 幕末期(1860年代)に頻繁に流行 | 全国的 |
各疫病の詳細な解説
① コレラ(虎列剌)
- 特徴と症状:
- 激しい下痢と嘔吐、急速な脱水症状を引き起こす。
- 重症の場合、数時間~数日で死亡することもあり、致死率が非常に高かった。
- 流行状況:
- 1858年に長崎港を中心に初めて日本で流行。
- その後、1861年・1862年・1865年に大流行し、全国に拡大。
- 特に1862年(文久2年)の流行は、江戸だけでも約10万人以上の死者が出たとされる。
- 社会的影響:
- コレラ流行が外国人の来航に起因すると考えられ、攘夷運動が激化する一因となった。
- 人々はコレラを「虎狼痢」(ころり)と呼び、極度に恐れた。
② 天然痘(疱瘡)
- 特徴と症状:
- 感染力が非常に強く、高熱、全身に痘瘡が出現。
- 死亡率が高く、生き残っても重い後遺症(あばた、失明)が残った。
- 流行状況:
- 江戸時代から継続的に流行し、幕末期でも大流行を繰り返した。
- 農村から都市まで広く影響を与え、子どもの死亡原因の主要なものの一つだった。
- 対処法(種痘):
- 幕末期、蘭方医・緒方洪庵らがオランダ経由で西洋から種痘法を導入。
- 1850年代以降、徐々に種痘が普及し、死亡者数が減少した。
③ 麻疹(はしか)
- 特徴と症状:
- 非常に感染力が強く、高熱、咳、鼻水の後に発疹が出る。
- 特に子供の死亡率が高く、合併症を起こしやすかった。
- 流行状況:
- 幕末期には江戸や大坂などの都市部を中心に度々大流行した。
- 1862年(文久2年)の麻疹流行では、江戸で多数の死者が発生した記録がある。
④ 赤痢
- 特徴と症状:
- 細菌(赤痢菌)による感染症で、発熱、腹痛、血便を伴う激しい下痢症状が出る。
- 不衛生な環境下で特に流行しやすく、致死率も比較的高かった。
- 流行状況:
- 幕末期、兵士の集団生活や衛生環境が悪い都市部で頻繁に流行した。
- 特に戊辰戦争期(1868~1869年)には軍隊内で蔓延し、多くの兵士が死亡した。
⑤ インフルエンザ(流行性感冒)
- 特徴と症状:
- 高熱、悪寒、倦怠感、頭痛、咳などの症状。
- 感染力が強く、短期間で多くの人々に広がった。
- 流行状況:
- 幕末期、特に1860年代初頭に頻繁に流行が報告されている。
- 開国後、外国人との交流が増えたことによって国内で流行するようになった。
幕末期の疫病に対する当時の対応策
- 伝統的な対処法(漢方医学):
- 漢方薬を用いた治療(下痢止め、解熱、体力増強など)。
- 疫病除けの祈祷やお札など宗教的・迷信的な対処。
- 西洋医学の導入(蘭方医学):
- コレラに対しては衛生管理(煮沸消毒)や隔離措置を採用。
- 天然痘には西洋から伝来した種痘法を普及させ、予防を行った。
幕末期の疫病流行による社会的影響
- 幕末期の疫病は多くの死者を出し、社会不安を増大させました。
- 特にコレラ流行は外国人排斥(攘夷)の思想を強め、幕府の政治不信を高める要因の一つになりました。
- 幕府は種痘や衛生政策など西洋医学の導入を積極化する契機となりました。
まとめ
幕末期の日本では、コレラ・天然痘・麻疹・赤痢・インフルエンザなどが流行し、多くの命が奪われました。これら疫病の流行は開国後の外国との交流、都市人口の増加、不衛生な環境などが背景にありました。
幕末の疫病流行は、医学・衛生管理の近代化が必要であるという認識を高め、明治維新以降の医療・衛生改革の重要な基盤となりました。また、西洋医学が日本に広まるきっかけとなった点でも歴史的意義が大きいといえます。