幕末時代(1853年~1867年)の日本では、西洋諸国との交流が本格的に始まり、それに伴い西洋の菓子も少しずつ日本に伝えられ、広まっていきました。当時、日本で手に入った代表的な西洋菓子について詳しく解説します。
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幕末期の西洋菓子事情の背景
幕末期、日本は長らく鎖国政策を維持していましたが、1853年にアメリカのペリー提督が来航したことをきっかけに、西洋諸国と本格的な交流が始まりました。横浜・長崎・神戸などの開港地には外国人居留地が設けられ、そこで西洋文化が徐々に日本人にも浸透し始めました。特に横浜は早くから西洋文化の窓口となり、洋菓子店や喫茶店なども徐々に登場しました。
幕末期に日本で手に入った代表的な西洋菓子
幕末期に日本で実際に食べられていた西洋菓子は主に以下のものが挙げられます。
① カステラ(Castella)
- 由来国: ポルトガル(スペイン経由)
- 特徴:
- 卵・砂糖・小麦粉を主原料とした焼き菓子。
- 江戸時代初期(16世紀末~17世紀初頭)にポルトガル人によって長崎へ伝えられ、日本に定着。
- 幕末期の状況:
- 長崎ではすでに「南蛮菓子」として広く親しまれており、江戸などにも流通していた。
- 幕末期には「長崎カステラ」が全国的に名声を得ていた。
② ビスケット(Biscuit)
- 由来国: イギリス、オランダ
- 特徴:
- 長期保存が可能な乾燥した焼き菓子。
- 小麦粉と砂糖を基本に、硬く焼き固めたシンプルな菓子。
- 幕末期の状況:
- 黒船来航時、ペリーが幕府役人らに贈ったことで知られている。
- 「乾パン」として軍隊にも普及し、洋菓子の初期代表格として浸透した。
③ ボーロ(Bolo)
- 由来国: ポルトガル
- 特徴:
- 卵・砂糖・小麦粉を練り、小さく丸めて焼いたシンプルな菓子。
- 非常に軽く口どけが良い。
- 幕末期の状況:
- 長崎経由で早期に伝来し、「南蛮菓子」として既に広まっていた。
- 日本風にアレンジされた「たまごボーロ」なども登場した。
④ コンペイトウ(金平糖)
- 由来国: ポルトガル(confeito コンフェイト)
- 特徴:
- 砂糖を芯にし、周囲に糖蜜を結晶化させて作る硬い飴菓子。
- カラフルで可愛らしい見た目。
- 幕末期の状況:
- 戦国時代末期に既に伝来しており、幕末には庶民の間でも広く普及。
- 西洋菓子としての意識は薄れていたが、由来は南蛮菓子であることが知られていた。
⑤ パン菓子(甘食など)
- 由来国: イギリス・オランダ
- 特徴:
- 西洋のパン製法を元に、砂糖を入れて甘く仕上げたパンの一種。
- 幕末期の状況:
- 幕末期の開港地でパン店が開業され、横浜・神戸を中心にパンと共に普及。
- 甘く食べやすいことから洋菓子として人気を得た。
幕末期の西洋菓子の流通経路と影響
流通経路 | 主な都市 | 西洋菓子の特徴・影響 |
---|---|---|
外国人居留地 | 横浜・長崎・神戸 | 初期の洋菓子店やベーカリーが誕生。外国人向けに提供され、日本人にも徐々に浸透。 |
長崎経由の南蛮貿易 | 長崎を中心に京都・大阪・江戸 | カステラ、コンペイトウ、ボーロなどが南蛮菓子として定着し、日本人に馴染みやすい形に変化。 |
軍隊・幕府・藩の外交 | 江戸・箱館(函館)・下田 | ビスケットなど保存性が高い菓子が幕府役人や藩士を通じて普及。 |
西洋菓子が幕末日本にもたらした文化的影響
西洋菓子は単なる嗜好品にとどまらず、西洋への関心を高める象徴的な存在となりました。これらの洋菓子がきっかけで、幕末期の庶民や武士階級の間でも西洋文化への関心が高まり、明治期の急速な西洋化・近代化の下地を形成しました。
また、洋菓子の導入は砂糖消費量を急増させ、菓子の味や製法にも大きな変化をもたらし、和菓子の世界にも影響を与えました。
まとめ
幕末時代に日本で手に入った主な西洋菓子は、カステラ、ビスケット、ボーロ、コンペイトウ、パン菓子などが代表的でした。これらの菓子は長崎や横浜など開港地を中心に徐々に全国へ広がり、日本人に新たな食文化を提供しました。さらに、洋菓子の普及が後の明治維新以降の本格的な西洋化や近代化に繋がる重要な役割を果たしたと言えるでしょう。