ゆうき とらじゅ
1818-1856 享年39歳。
□通称:朝道、晴明
□藤原氏を祖とする。家系は鎮守府将軍・藤原秀郷を始祖とする。小山氏の同族・結城氏の流れを汲む。
関東の名族・結城氏は、鎌倉・室町時代から続く。同じく古くから関東の地で基盤を築いてきた小山氏、小田氏と共に水戸藩に仕え、歴代の重役を務め、知行1000石の優遇を受け、名門の格式を保った。
□水戸藩重臣。
水戸藩内の保守派頭目として藩政に
携わる。
藤田東湖ら改革派と対立した。
寅寿は、水戸藩有力上士の一人として、天狗党が跋扈する水戸藩内に強く反発し、保守派の盛り返しに尽力した。革新的な政策を取る主君・斉昭にも反発し、その腹心である藤田東湖や戸田忠太夫ら勤皇派と対立した。
□幕閣と密かに結んで徳川斉昭排斥に
暗躍した。
□斉昭が永蟄居に処されると跡目を継いで水戸藩主となった徳川慶篤の下で専横を尽くし、革新派を弾圧した。
□しかし、老中・阿部正弘の命により1847年9月、寅寿は失脚する。
さらに徳川斉昭が藩政に復帰すると、1853年10月、寅寿は拘禁され、後に
死罪に処せられた。
