中岡 慎太郎

なかおか しんたろう

1838-1867 享年30歳。

土佐藩士。
□通称:福太郎、福五郎、光次、道正、号:遠山・迂山、変名:石川誠之助(清之助)

□慎太郎は、庄屋の子に生まれ、20歳で
  大庄屋見習いとなった。
  慎太郎の風貌は、鋭い目を持ち、質素
  な衣服を折り目正しく着込み、至って真
  面目な人柄であったという。

□武市瑞山の勤王党に参加。

□1863年、脱藩して討幕運動に奔走する。

□8・18の政変で京都を追放された三条実
  美らが筑前に移った時、案内をした。

□坂本龍馬とともに奮起し、薩長同盟を成
  功させる。
  龍馬と慎太郎は、議論する時に二人とも
  よく興奮するので、いつもお互いの刀を
  体から離していたという。

□陸援隊を組織する。

□坂本龍馬とともに京都にて暗殺される。

Wikipedia「中岡慎太郎」から引用
坂本龍馬とともに薩長同盟を成功させるべく、奔走した。
 ”陸援隊”を結成し、土佐藩の主軸を勤めたが、
近江屋にて龍馬とともに無念の暗殺劇に襲われた。



Wikipedia「中岡慎太郎」から引用
幕末では珍しい笑顔の写真。隣に女性がいると想定されているが、
中岡の頬に当てられた手と膝にかかった着物を除いて塗りつぶされている。
(1866年11月24日撮影)

参考:Wikipedia「中岡慎太郎」