後藤 象二郎

ごとう しょうじろう

1838-1897 享年60歳。

土佐藩士。
□土佐藩主・山内容堂の信任厚い吉田
  東洋の甥。
  藩主・容堂に重用され、土佐勤王党を
  弾圧した。

□尊王攘夷派を潰した張本人と言われる。

□公議政体論を唱え、坂本龍馬が考案し
  た”船中八策”をもとにして大政奉還を
  考え出した。
  前土佐藩主・山内容堂に大政奉還を建
  白するよう進言。

□明治政府では、参与、参議を歴任。

□西郷隆盛らとともに征韓論を主張するが
  大久保利通・岩倉具視らによって却下さ
  れ、職を辞す。

□副島種臣、江藤新平らと愛国公党を
  組織。
  民選議院設立建白に参画。

□1881年、板垣退助らと自由党を結成。

□1887年、大同団結運動を起こすも、政府
  に買収される。

□1889年以降、逓相、農商務相を歴任
  した。

Wikipedia「後藤象二郎」から引用
土佐藩の勤王派を弾圧することに成功。坂本龍馬を見いだし、亀山社中を土佐藩に組み込む。
 ”船中八策”を元にして大政奉還を編み出し、山内容堂を動かすことに成功。
 幕末期に大いに活躍を見た後藤だったが、明治期に入り、
めまぐるしく変わる政局に翻弄され、力量を発揮できずに終わった。
Wikipedia「後藤象二郎」から引用

参考:Wikipedia「後藤象二郎」