ふくざわ ゆきち
1834-1901 享年68歳。
□豊前国中津藩士。
教育者、啓蒙思想家として活躍した。
□緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、すぐ
れた才知で塾頭に就く。
□外夷の脅威にさらされた日本には、
英学が必要と感じ、英語の独習に
励む傍ら、自ら蘭学塾を開く。
□1868年、蘭学塾を慶応義塾と改名
し、本格的に英学や蘭学などの外
国文化の収得と研究を盛んにした。
□幕吏屈指の洋学者として幕府使節
団の一員として咸臨丸に乗り込み、
自らの目で欧米の文化を視察、
考究した。
□渡米で得た見聞知識を「西洋事情」
に著し、洋学黎明の日本に貢献した。
□維新後、日本屈指の洋学知識人と
して封建日本の啓蒙に勤しんだ。
□主著「学問ノススメ」、「西洋事情」、
「文明論之概略(ぶんめいろんの
がいりゃく)」などがある。

欧米へ三回渡航し、明治時代を代表する啓蒙思想家。
”三田の文部卿”と称されて、後には「脱亜入欧」を唱えて、国権論を展開した。

文久2年(1862年)江戸幕府使節としてヨーロッパ歴訪の際ベルリンにて。
西洋学問の真髄をこの目で確かめ、日本が目指すべき真の教育について、
思案し続けた福沢諭吉。啓蒙の志に燃える若き日の姿。

福澤諭吉とアメリカの少女テオドーラ・アリス・ショウ[12]。万延元年(1860年)、
米国サンフランシスコにて。(慶應義塾福澤研究センター所蔵)
西洋とは如何なるものかを常に問い続けた福沢諭吉。

文久2年(1862年)、パリのフランス国立自然史博物館にて撮影)
西洋文明をいかに黎明期の日本にて啓蒙させていくのかを模索する日々であった。
東京大学史料編纂所蔵

明治20年(1887年)頃の肖像
西洋文明の研究第一人者として、広く人々に学問の大切さを啓蒙した。