幕府を倒したなら、幕府の条約も無効にすればよかったのではないか

明治政府は徳川幕府を倒して成立しました。

政治制度を変えます。

藩を廃止します。

武士の特権も整理します。

それほど大きな革命をしたのなら、幕府が外国と結んだ条約も、

「前の政府の約束なので無効です」

と言えばよさそうに思えます。

特に幕府が結んだ修好通商条約には、領事裁判権や関税など日本側に不利な条件がありました。

後に不平等条約と呼ばれます。

なぜ明治政府はこれを即座に破棄しなかったのでしょうか。

政権が変わっても「国家」は同じと見られる

国際関係では、政府が変わったからといって国家そのものが消滅したとは限りません。

幕府が外国と条約を結んだ主体は、日本を代表する政府としての幕府でした。

明治政府はその日本の新しい中央政府を名乗ります。

すると外国側から見れば、

「日本の政府が変わったのであって、日本という国が消えたわけではない」

となります。

明治政府自身も幕府の条約を引き継いだ

国立公文書館の漂流船救助に関する展示では、明治政府が対外政策について幕府方針を引き継ぎ、幕府が締結した条約を遵守する旨を各国へ通達したと説明されています。

ここは非常に重要です。

新政府は最初から、

「幕府の条約は全部無効」

という立場を取りませんでした。

なぜ自分から不利な条約を認めたのか

最大の理由は外交的信用です。

新政府は成立したばかりです。

外国から見れば、

本当に日本全国を統治できるのか。
約束を守る政府なのか。
貿易は安全にできるのか。

を見ています。

そこで新政府がいきなり

「前政府の条約は全部破棄する」

と言えば、外国側は新政府を信用しません。

条約破棄は「紙を破る」だけでは終わらない

国家間条約は、国内法のように一方的に廃止できるものではありません。

相手国があります。

一方的に破棄すれば、外交対立になります。

最悪の場合は軍事的圧力を受ける可能性もあります。

幕末の日本は、欧米艦隊の力をすでに経験していました。

薩英戦争。
下関戦争。

新政府指導者はその現実を知っています。

不平等だからといって、すぐ戦争する余裕はなかった

1868年の新政府は国内も安定していません。

戊辰戦争が続いています。

財政も厳しい。

軍隊も再編途中です。

地方制度も完成していません。

この状態で欧米列強と同時に外交戦争を始めるのは非常に危険です。

まず国内統一が必要だった

明治政府にとって最初の課題は、日本国内を一つの政府の下へまとめることでした。

旧幕府勢力との内戦を終える。
版籍奉還。
廃藩置県。
徴兵制。
税制改革。

これらを進めなければ、外国と対等に交渉する国力も作れません。

条約改正には「交渉力」が必要

不平等条約を変えるには、

「不平等だから直してほしい」

と頼むだけでは足りません。

相手国が、

「日本なら対等な制度を運用できる」

と認める必要があります。

裁判制度。
法律。
行政。
警察。
経済。
外交。

国家の制度整備が交渉力になります。

領事裁判権が問題になった理由

不平等条約の大きな問題の一つが領事裁判権です。

外国人が日本で事件を起こしても、日本の裁判制度だけで裁けない。

外国領事が関与する。

これは主権国家として大きな制約です。

明治政府はこれを解消したいと考えました。

しかし外国側にも理屈があった

欧米側は、

「日本の法制度は自国民を公正に裁けるのか」

と疑っていました。

この見方には欧米中心主義的な偏見も含まれます。

しかし交渉上は、その疑念を取り除く必要があります。

そこで日本は近代法制度の整備を進めます。

関税自主権の問題

関税を自由に決めにくいことも大きな制約でした。

関税は国内産業や貿易政策に直接関係します。

自国で税率を決められないのは、経済主権上の問題です。

しかしこれも相手国との条約事項なので、一方的変更は困難でした。

「尊王攘夷」から「条約改正」へ

幕末には、

外国を追い払う。

という攘夷運動が強まりました。

しかし明治政府は、

外国と条約関係を維持しながら、条件をより対等に変える

方向へ進みます。

目的は外国の支配を避けることでも、手段が変わりました。

明治政府は幕府外交を全部否定したわけではない

明治維新は幕府政治を否定した革命です。

しかし実務上、幕府が作ったものを全部捨てたわけではありません。

外交関係。
港湾制度。
外国との条約。
洋学。
技術者。
行政知識。

使えるものは引き継ぎます。

国家運営では「前政権の遺産」を利用する

新政府がゼロから国家を作ることはできません。

外交官も必要です。
通訳も必要です。
条約文書も必要です。
港の管理制度も必要です。

幕府時代に蓄積された知識や制度を利用する方が合理的です。

条約を守ることが新政府の正統性にもなった

明治政府は外国に対して、

「日本を代表する唯一の政府は私たちである」

と認めてもらう必要があります。

そのためには、前政府が国家として負っていた国際的義務も引き継ぐ姿勢を示すことが有効です。

権利だけ引き継ぎ、義務は拒否する政府では信用されません。

不平等条約を認めることと、正当だと考えることは別

新政府が条約を遵守したからといって、

「この条件は公平です」

と納得したわけではありません。

約束は守る。
しかし改正を求める。

この二つは両立します。

岩倉使節団と条約改正

明治政府は岩倉使節団を欧米へ送り、制度視察とともに条約改正も重要課題としました。

しかし早期の全面改正は実現しません。

日本側の制度整備がまだ不十分だと見られたことなどが背景です。

ここから明治政府は、国内近代化と外交交渉を長期戦で進めることになります。

「条約を破棄すれば主権を取り戻せる」は単純すぎる

一方的破棄によって外国との貿易が停止する。

艦隊が来る。
賠償を要求される。
さらに不利な条件を押し付けられる。

そうなれば、形式上条約を破棄しても主権はむしろ弱くなります。

本当の自主性には、それを支える国力が必要です。

明治政府は時間を使って国力を作った

鉄道。
軍隊。
教育。
工業。
法制度。
外交官。

こうした近代国家の基盤を整えます。

その上で条約改正を進めます。

「今すぐ破棄する」より「改正できる力を作る」道を選びました。

幕府も明治政府も同じ国際環境に直面した

ここが面白い点です。

幕府は欧米の軍事力を前に条約を結びました。

明治政府は幕府を批判して成立しました。

しかし明治政府も、欧米列強を無視できません。

結局、新政府も外交交渉と近代化によって問題を解決しようとします。

これは、幕府の外交問題が単なる「幕府の無能」ではなく、日本の国力と世界情勢に関わる構造問題だったことを示します。

条約を守ることは国内政治でも意味があった

外国との戦争を避けられれば、新政府は国内改革に集中できます。

廃藩置県。
徴兵令。
地租改正。
学制。

これらは大きな社会変化です。

外戦と内政改革を同時に行うより、外交関係を安定させる方が合理的でした。

外国との貿易も必要だった

近代化には外国から買うものがあります。

機械。
武器。
船。
技術。

条約関係を破壊して貿易を止めれば、近代化そのものが難しくなります。

不平等な条件を改善したいからこそ、まず外国との関係を維持しながら国力を高める必要がありました。

「倒した政府の約束」を守るという国家の継続性

政権は変わります。

しかし外交相手から見れば、日本という国家の継続性が重要です。

明治政府が幕府条約を引き継いだことは、

「政府が変わっても国家の国際的約束は継続する」

という近代国家的な考え方に適合します。

それでも条約改正には長い時間がかかった

不平等条約の主要部分が改正されるまで、明治政府は長い外交努力を続けました。

これは新政府にとって大きな不満でした。

しかし長くかかったからこそ、条約改正が外交・法制・国家建設の中心課題になりました。

「破棄しなかった」ことを弱腰とだけ見る危険

幕府と同じように、明治政府も現実の国力差を考えなければなりません。

相手国との約束を守る。
国際信用を得る。
国内制度を整える。
交渉力を高める。
その後に条件を変える。

これは時間がかかります。

しかし一方的破棄よりも、長期的には安全な戦略でした。

外交の継続性は国家の信用そのものだった

もし政府が変わるたびに前政府の条約を無効にすれば、外国は日本と長期的な約束を結べません。

貿易も投資も外交も不安定になります。

明治政府が旧幕府の条約を守ったことは、不利な条件を抱える代償と引き換えに、

「日本政府は国家として約束を継続する」

という信用を作る意味がありました。

国内法改正だけでは条約は変わらない

明治政府が国内で新しい法律を作っても、相手国との条約条件が自動的に変わるわけではありません。

条約は国際合意です。

国内制度を整えることは必要ですが、最後には相手国との交渉と同意が必要です。

ここが条約改正に時間がかかった理由の一つです。

近代化そのものが外交カードになった

裁判制度や警察制度を整える。

外国人にも理解できる法律を作る。

行政の予測可能性を高める。

これらは国内近代化であると同時に、

「日本は対等な条約を運用できる国です」

と示す外交カードになります。

条約改正は軍事ではなく制度で主権を回復する戦いだった

幕末の攘夷は、外国を武力で追い払う発想でした。

明治の条約改正は、法律・外交・制度整備を使って不平等を減らす方法です。

同じ「外国に支配されたくない」という問題に対して、手段が変わったと見ることができます。

新政府が外国から承認されるためにも条約継承は重要だった

明治政府は国内で勝つだけでは十分ではありません。

外国政府から、

「日本を代表する政府」

として認められる必要があります。

その新政府が、前政府の国際約束を全面否定すれば、外国側は関係を結び直すことに慎重になります。

条約継承は、新政府の国際的承認を安定させる意味もありました。

貿易港を突然閉じれば国内経済にも打撃が出る

開港後、日本は外国貿易に組み込まれていました。

生糸。
茶。
輸入機械。
武器。
各種商品。

条約を破棄して港を閉じれば、外国だけでなく日本の商人や生産者にも影響します。

外交問題は国内経済問題でもありました。

近代化に必要なものの多くを海外から得ていた

明治政府は鉄道、軍艦、機械、技術書、専門家などを海外から導入します。

その時に外国との安定した条約関係が必要です。

「不平等だから全部断絶する」とすれば、近代化の速度を自分で落とすことになります。

国際信用は目に見えない国力

軍艦や兵士だけが国力ではありません。

この政府は約束を守る。
契約を継続する。
交渉が成立する。

そう外国から思われることも国力です。

明治政府は、条約改正を求めながらも既存条約を守ることで、交渉相手としての信用を作りました。

条約改正には「相手国が納得する理由」が必要だった

日本側が不平等だと思うだけでは、相手国は変更に同意しません。

外国側に、

日本の裁判制度なら自国民を任せられる。
日本の政府なら合意を守る。
日本の法制度は予測可能である。

と判断させる必要があります。

国内改革が外交条件になりました。

外務行政そのものを育てる必要があった

幕府時代にも外国奉行など外交担当機関がありました。

明治政府は新しい外交組織を作り、外国語に通じた人材や国際法知識を必要とします。

条約改正は、外交官の育成と行政組織の整備を伴う長期事業でした。

「破棄」より「改正」が難しい理由

一方的に破棄すると宣言するだけなら簡単です。

しかし相手との関係を壊さず、より有利な条件へ変えるには交渉力が必要です。

譲歩。
交換条件。
国際情勢。
国内制度。

多くの要素を組み合わせなければなりません。

明治政府は難しい方を選びました。

新政府が幕府の外交官・知識を利用する必然

前政権の外交実務を知る人物は貴重です。

条約文の意味。
外国公使との慣行。
港の管理。
翻訳。

新政府がすべて新人だけで外交を始めるのは非効率です。

政治体制は変えても、専門知識は引き継ぐ必要があります。

条約を守ったからこそ「改正要求」に説得力が出る

自分たちは既存条約を守る。

その上で、

「この部分は不公平なので交渉で変えたい」

と主張する。

この方が、条約を一方的に破棄する政府より交渉相手として信頼されます。

遵守と改正要求は矛盾しません。

欧米列強同士の関係も利用する必要があった

条約改正は日本対一国だけの問題ではありません。

複数国と似た条約を結んでいます。

一国だけ改正しても、他国との関係が残る。

各国の利害や国際情勢を読みながら交渉する必要があります。

国内世論には「なぜすぐ改正できないのか」という不満が出る

外交交渉は時間がかかります。

国内から見れば、

「政府はなぜ外国に強く言えないのか」

という不満が生まれます。

これは幕府が開国時に受けた批判と似ています。

新政府も同じ構造の問題に直面しました。

幕府批判と現実外交のギャップ

倒幕運動の時には、幕府の対外政策を批判しやすい立場でした。

しかし実際に政府を持つと、

戦争を避ける。
貿易を維持する。
外国人を保護する。
条約を守る。

責任が生じます。

権力を握る前と後では、外交政策の難しさが違います。

明治政府が学んだのは「独立には制度が必要」ということ

外国から独立を守るには、精神論だけでは足りません。

軍隊。
産業。
法律。
裁判所。
外交官。
税収。

これらが必要です。

条約改正は、近代国家の制度づくり全体と結びつきました。

不平等条約は近代化の動機にもなった

不利な条約条件は大きな負担でした。

しかし同時に、

これを改正できる国を作らなければならない

という国家目標にもなります。

法制度や外交制度の整備を急ぐ動機の一つになりました。

「前政権の失敗を引き継ぐ」ことも政府の仕事

新政府は、自分たちが作った問題だけを処理するわけではありません。

前政権から負債、制度、外交問題を引き継ぎます。

都合の良い遺産だけ選ぶことはできません。

幕府条約の問題を引き受けたことは、新政府が日本国家の後継政府であることの裏面でもありました。

条約改正の長期戦は維新後の国家建設そのものだった

条約改正だけを外交史の一項目として見ると、長期間かかった交渉に見えます。

しかし実際には、そのために法律、裁判、行政、産業、軍事を整える必要がありました。

つまり条約改正は、明治国家が「対等な主権国家になる」過程そのものと深く結びついていました。

よくある疑問

明治政府は幕府の条約を本当に引き継いだのか

はい。国立公文書館は、明治政府が幕府の対外政策を引き継ぎ、幕府が締結した条約を遵守する旨を各国へ通達したと説明しています。

不平等条約なら無効と言えなかったのか

一方的破棄は外交対立や軍事的圧力を招く危険がありました。新政府は国内統一・近代化途中で、欧米列強と同時に対立する余裕がありませんでした。

明治政府は条約条件に納得していたのか

いいえ。条約改正を長期的な重要外交課題として進めました。

なぜ改正まで時間がかかったのか

外国側の同意が必要であり、日本の法制度・行政制度などへの信頼を高める必要もあったためです。

まとめ――明治政府は「幕府の約束だから守った」のではなく、日本という国家の信用を守った

明治政府は幕府を倒しました。

それでも幕府が外国と結んだ条約をすぐ破棄しませんでした。

なぜか。

外国から見れば、政府が変わっても日本という国家は同じだからです。

新政府が国際的約束を一方的に破れば、信用を失う。
欧米列強と軍事対立する危険がある。
国内統一に集中できない。
近代化に必要な貿易や技術導入も難しくなる。

そこで明治政府は、

条約はいったん守る。
しかし不平等な部分は将来改正する。

という道を選びました。

これは幕府外交を全面肯定したのではありません。

むしろ国家の継続性を守りながら、より有利な条件へ変えるための長期戦略でした。

政権を倒すことと、国家の国際的約束を消すことは別です。

この違いを理解すると、明治維新が単なる「旧体制を全部壊して新しくした革命」ではなく、必要なものを引き継ぎながら国家を作り替えた改革だったことがよく見えてきます。